歌うこと踊ること

                  〜趣味の話〜

1)トイレで歌を歌いましょう???

 私が子供の頃、母は一日中歌を歌っていた。朝起きると、朝食を作りながら、もう歌っている。
父が会社に行った後も、掃除や洗濯をしながらずっと歌っている。父は父で、お風呂に入ると必ず歌を歌う。
そんなわけで、私にとっては歌はごく当たり前というか、空気のようなものというか、とにかく生活の一部だった。
私が3歳くらいの時に歌ったものを録音したテープが残っているが、子供にしては結構うまい
(自分で言うのもなんだが)。その頃好きだったのは「子鹿のバンビ」という歌。母を見習って、
いつでもどこでも歌っていた。もう少し大きくなった頃、ピンキーとキラーズというのが流行った。
和室のテーブルの上に乗って「恋の季節」なんかを歌っていた記憶がある。


 ある日、母がトイレに貼紙を貼った。「トイレでうたをうたってはいけません」と書いてある。
トイレは隣の家のすぐそばだ。隣から苦情が出たのか、聞こえることに気づいて母が恥ずかしくなったのか、
どちらかだろう。3つ下の妹は当時まだ字が読めなかった。「ねーなんて書いてあるの?」と私に聞いてきた。
私はふといたずらっ気を起こし、こう答えた。「トイレでは歌を歌いましょうって書いてあるんだよ」。
他人を疑うことを知らない妹は「そうかー」と納得して、大きな声で歌を歌い始めた。
もちろん、私はあとで母にたっぷり怒られた。


                            

2)しゅわきませりー

 私が通っていた幼稚園では、毎年クリスマスにキリスト誕生の話を劇でやっていた
。当然、女の子は皆、マリア様の役を狙って大騒ぎになる。私は年少組ではお星様の一人だった。
年長組になって、ひそかに「今年こそはマリア様」と狙っていたところ、先生が「ちょっときて」と言う。
なんだろうと思ってついて行ったら、「クリスマスなんだけど、ちえみちゃんはお歌がうまいからね、
聖歌隊に入ってほしいの」と言われた。「せいかたい」なんて言葉はその時初めて聞いた。
よくわからないが、歌を歌う役らしい。「歌がうまい」とほめられていい気になった私は、
「はーい」と快く引き受けてしまった。おだてられてハメられたな、と気づいたのは
それから何年もしてからのことだ。


 まあそれはともかく、聖歌隊はいろんな歌を歌って楽しかった。「もろびとこぞりて」は
その時初めて教わった。普段歌っている子供の歌とは格が違う。なんかよくわからないけど、
かっこいい!と思った。でも最後まで意味はわからなかった。わからないまま、
「しゅわきませりーしゅわきませりー」と大人になった気分で歌っていた私だった。


                            

3)歌集一冊で

 子供の頃は貧乏なのにレコードは沢山買ってもらったし、テレビでも「歌の絵本」とかいう番組
(「おかあさんといっしょ」のコーナーのひとつだったかもしれない)をずっと見ていたので、
童謡は結構沢山知っているほうだと思う。今いる合唱団で「すかんぽの咲くころ」を歌ったとき、
原曲を知っているのは私一人だった。『土手のすかんぽ ジャワさらさ〜』という曲だ。もしかして、
ちょっと古いのかな。童謡などの曲で好きなのは「すかんぽの咲くころ」の他、「ちいさい秋みつけた」
「森の夜あけ」(『くるみのおとでよがあけます もりのなかのりすのおうち〜』)「俵はごろごろ」
「トロイカ」「森の小人」(『森のこかげでドンジャラホイ』)「月の砂漠」「雪の降る町を」のような、
短調で物哀しい歌またはしっとりした感じの歌や、「ことりのうた」(『小鳥はとっても歌が好き』)
「おはなが笑った」「あめふりくまのこ」「ドロップスのうた」のような、母がよく歌っていた歌。
「山の音楽家」も軽快で好きだ。あと、タイトルがわからないが、『うずまき貝殻どうしてできた
波がくるくるうずまいてできた』とか『むらさきぶどうの兄弟は あの子もこの子も丸い顔』
『ブランコゆれて お空もゆれる』『お山の中ゆく汽車ぽっぽ』『汽車の窓から両側の
景色を見ると面白い』『おさんぽーさんぽさんぽさんぽ』『すーてきな山の幼稚園〜』
『はねるーくらべるー るーるーるーるっるるー はねてーくらべるーかんがるー』というのも
すごく好きだ。「どこかで春が」も、歌詞に出てくる『東風(こち)』という普段聞き慣れない
言葉が心地よくて大好きである。

 この他、子供の頃は「おなかのへるうた」(『どうしておなかがへるのかな
 けんかをするとへるのかな』)「まんじゅうとにらめっこ」「やぎさんゆうびん」
「どじょっこふなっこ」「水鉄砲」(『水をたくさん汲んできて水鉄砲で遊びましょう』)
「うさぎのダンス」「りんごのひとりごと」「お山の杉の子」「こんぴらふねふね」
「わらいかわせみに話すなよ」「村のかじや」なんかをよく歌った。
小学校で「サラスポンダ」を習ってやみつきになったこともある。「親子どんぶり」
(『親子どんぶり お寿司に弁当 サンドイッチ』)というくだらない歌も結構歌った。
妹が幼稚園で覚えてきた「おんまはみんな」も勝手に振りまでつけて歌った。

 チリにいる頃は「ピクニック」をよく歌った。『丘を越えゆこうよ、口笛吹きつつ』と歌いながら
ドライブしたり山歩きをしたりした。「おおブレネリ」「森へ行きましょう」もお気に入りだった。
その頃になると、母と妹が高声、父と私が低声を担当して、「花」(『春のうららの隅田川〜』)や
「おぼろ月夜」などをよく歌った。ハモることの楽しさに取りつかれたのもこの頃だろう。
「もみじ」も好きな曲で、二部合唱になった楽譜を発見して妹と二人で覚え、よく歌った。
また、好きな歌の歌詞を自分でノートに書き写して自分専用の歌集まで作った。

 とにかくあの頃は家族全員、よく歌った。「世界の名曲集」「ホーム歌集」のような歌集が
一冊あれば、最初のページから最後のページまで全部歌うまで気が済まない。
皆で朝まで歌ってしまったこともある。次の日は一日中、とても眠かった。