でんでんの

通 訳 生 活


〜長崎の海〜


これは大学の後輩で親友のN君から聞いた話である。

大学時代に中南米を半年ほど旅していたN君は、ある国(たしかウルグアイだったと思う)でミュージシャンの男性と友達になった。帰国後も文通を続けていたが、このミュージシャン君があるとき、日本に来ることになった。長崎でコンサートがあるのだが、成田空港から入国して、そのあとすぐ羽田から長崎へ飛ぶという。だけど、どうしてもN君と会いたいので、せめて成田から羽田への移動中だけでも会って話をしたいというのだ。そんなわけでN君が成田へ行ってみると、そこにはこのミュージシャン君を呼んだ興行主とその『通訳』の女性(日本人)がきていた。

N君はこの通訳さんに話しかけた。「すごいですね、通訳とかできて。どこで勉強されたんですか?」「スペインに一年ほど留学したんです」。N君は内心ちょっぴり「一年で通訳ができるくらいスペイン語をマスターできるのか?」と思ったが、自分が大学でスペイン語を専攻したことは隠したまま、「スペインですか、いいですねえ。僕にも今度、スペイン語教えてくださいな」などと調子のいいことを言ったりしていた。

そうこうしているうちに、ミュージシャン君が通訳さんに話しかけた。

   “?Hay playa en Nagasaki?” (長崎にはビーチはありますか?)

通訳さんは彼に向かって直接スペイン語で答えた。

  ”Si', se vende.” (ええ、売ってますよ)

そばで聞いていたN君はびっくり仰天。だけど、スペイン語がわからないことになっているから、下手に口出しできない。おろおろしてたら、通訳さんは興行主さんに向かってこう言った。「やだー、この人、すごいこと聞くんですよ。長崎にブラジャー売ってるかって」。N君は二度びっくり。

あきらかにスペイン語の playa(浜・海岸・海水浴場)を「ブラジャー」と間違えての発言である。そりゃ、中南米の人はya を「ジャ」と発音するけど...。

まあ、さすがに、ここまで大胆な間違いがそのまま通ることはありえない。通訳さんも、このあとちょっとして、彼の発言を誤解していたことはわかったようだ。「やだー、私、間違えちゃったあ〜」ってゲラゲラ笑ったそうである。おいおい、いいのか、そんなことで。


ちょっとここでまじめに、この通訳さんの問題点を考えてみよう。まず、playa なんていう、基本的な単語を知らないということが最初の問題である。どんな教科書を使ってても、最初の10課くらいの間には絶対出てくる単語だと思うのだが...。それと、一年もスペインにいて、しかも女性なのに、「ブラジャー」という単語も知らなかったわけだ。ちなみに、ブラジャーはsujetadorとか soste'nという。他にも言い方があるが、どれもplayaと混同するような発音ではない。

次に、状況判断の甘さである。実は、通訳に必要なのは、語彙力以上に、この状況判断力なのだが...。考えてもみてほしい。相手は、はるばる地球の裏側から公演にやってきたミュージシャン。しかも、男性である。成田に着いて早々、いきなりブラジャーの話なんかするだろうか。しかも、会ったばかりの、女性の通訳さんに向かって。

もうひとつ厳しいことをいえば、通訳として仕事している以上は、あまり自分の判断でいろいろ答えないほうがいい、というのもある。実は私も学生時代に初めて通訳をやったときは、パーティーの席で、一度だけ、自分で答えてしまって怒られたことがある。まあ、通訳にもいろいろな形態があるから、これは一概には言えないけれど...。

それと、話からすると、この通訳さん、スペインで初めてスペイン語を勉強したか、それに近い状況のようだ。国内で何年も勉強した人が「仕上げ」に留学することがあるが、そういうのではなく、いわゆる「ちょっとスペインへ行って、スペイン語でも」的な、『語学留学』だったように思われる。となると、一年で覚えられるのは基礎の基礎だけ。とても仕事で通訳できるレベルまではいかないはずだ。

私は子供の頃チリに7年近く住んでいて、現地の学校(日本語はおろか英語さえ通じない)で算数も社会も音楽も体育も全部スペイン語で勉強するという経験をしているが、スペイン語の知識ゼロで日本から行って、いきなりそういう環境に放り込まれ、そこでもまれて、それでもまあまあ日常会話に支障がなくなるまで、だいたい丸2年かかっている。丸6年たってやっと日本語とスペイン語のレベルが逆転、つまり完全にチリ人と同じレベルのスペイン語があやつれるようになったわけである。「外国語ができる」ということだけに限って考えても、ゼロからスタートして一年ではとうてい無理だということがわかるだろう。(ついでに書くと(ちょっと自慢っぽいが)、うちの父は外大のスペイン語学科を首席で卒業しているし、うちの家系は代々言葉には強い。私自身、それなりの素質はあると思っている。それでもこの程度はかかるということである。)もちろん、子供と違って、大人になってから勉強するときはそれなりのメソッドを使うから、単純比較はできないが。しかし、自分が外国語を使ってとりあえず生活できるか、ということと、プロとしてお金がもらえるレベルか、というのは、また別だということも考えないといけない。さらに、通訳は外国語さえできればOKというものではない。なので、「ちょっと留学して通訳でも」はそもそも無謀な話なのである。


まあいろいろ厳しいことを書いてしまったけれど、自分で直接見聞きした事件ではないので、憶測で書いているところも多少ある。だけど、この人、今はどうしてるのかなって時々思うのである。もし偶然にでもこのページを目にしたら、「はーい、それは私です」と名乗り出る必要はないから、これからでも遅くない、頑張って勉強してほしいなと思う。



                                                       (中西智恵美 2002.3.31.

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