起訴状の翻訳などについて

 

                              中西智恵美

 

 裁判所から刑事事件の法廷通訳を依頼されると、たいていの場合、同時に「起訴状の翻訳」も依頼されます。これは、被告人に起訴状の内容を正しく理解してもらうために作成するもので、翻訳文を裁判所に提出すると、裁判所が被告人に(日本語の)起訴状と一緒に送付します。

 ただし、入管法違反(オーバーステイ等)など、裁判所のほうで書面に日時などを入れる「穴埋め」ですませられるものもあり、そういった事件の場合は通訳人には起訴状の「翻訳」は求められません。

 とはいえ、公判では被告人本人に起訴内容をあらためて告げますので、検察官が起訴状を朗読したあと、通訳人がそれを外国語で読み上げなくてはなりません。ですから、そういう(翻訳文提出が求められない)事件の起訴状も、法廷通訳人に選任された人には送られてきますので、公判までには外国語訳を声に出して読み上げられるよう、準備(翻訳等)をしておく必要があります。「提出」する翻訳文と違い、こちらは通訳人本人がきちんと読めさえすればよいので、殴り書きでもなんでもいいのですが、読み上げのときに間違いなく読める字で書いてください。

 なお、起訴状を書くのは検察官なので、つづりや読み方がわからない人名などが出てきた場合は、裁判所を通じて検察官に教えてもらうか、直接検察庁に連絡が取れる場合はそちらの担当者に教えてもらうのが正解です。内容に不明点があって訳せない場合も、検察庁のほうに問い合わせましょう。

 日本国内の地名などは、以前は私はよく郵便局に問い合わせて正しい読み方を教えてもらっていました。今はネットで検索して調べられるものが多いので、そういったものを活用しましょう。

 「被告人に送付するための起訴状の翻訳」は、通常、「公訴事実」と「罪名及び罰条」のところだけ訳せばよいのですが、被告人に渡すときに間違いが起きないように、なるべく被告人名も入れておくことをお勧めします。この場合は、「被告人に送付したり手渡したりする担当者向け」という意味で、起訴状にある表記のまま、たとえばカタカナならカタカナのままで上のほうに書いておく、というのでもいいかもしれません。また、追起訴が予想される場合などは、起訴状の日付も入れておくと親切だと思います。もちろん、裁判所から依頼されるときにそれ以外の部分も翻訳してほしいと言われたらそれに従ってください(隅々まで苦労して翻訳しても被告人にとってあまり意味がないので、それを求められることはまずないと思っていいですが)。

 また、「公訴事実」の文章がごちゃごちゃと長い場合、裁判所が別に「要旨」を作成して、被告人送付用にはそちらを「翻訳」するように言われることもあります。この場合も、公判で読み上げるのは「要旨」ではなく元の文章ですので、いわば「自分用」に「元の文章」も訳しておく必要があります。

 大人の刑事事件の場合、法廷通訳人の選任から公判まで3~4週間程度の時間があることが多いですが、「被告人送付用」の翻訳文はなるべく早く裁判所に送りましょう。裁判所側から期限が指定される場合は「(原文が届いてから)1週間後までに」というのが多いです。公判前に被告人本人が起訴状の内容を知って、弁護人と打ち合わせて公判に向けて準備をする必要があるのですが、拘置所の中などは(こういう公的なものでさえ)本人の手もとに郵便物が届くのが遅くなりがちなので、「公判の日になったのにまだ本人が起訴状を読んでいない」ということが起きないように気をつけてください。(そうなると公判そのものが予定の日にできなくなることもあります。)

 通訳人が読み上げるものは究極の話、公判前日までにできていればよいので、その2つの「期限」を混同しないようにしましょう。

 なお、法廷でワイヤレスシステムを使う場合でも、起訴状と判決文は訳文の「同時読み上げ」はしないことになっています。(他の書面についても、やるとしても「同時通訳」ではなく、あくまでも「同時読み上げ」なので、通訳人本人だけでなく、裁判所や検察官、弁護人などにもこの点はきちんと理解しておいていただかないと不要な混乱の元となります。法廷での「同時通訳」は最高裁が禁止していますので、関係者がそのことを理解していないときは通訳人から伝えておくとよいでしょう。)

 以前、複数の起訴がされている事件で、どうしたわけか通訳人が起訴状のひとつを法廷で訳し忘れた、ということがあったとニュースで読んだことがあります。このときの詳しい事情は知りませんが、不法滞在など、通訳人が「被告人用の翻訳文」を提出しない事件に関しては、より注意が必要ではないかと個人的には思います。検察官が1件ずつ読んで、通訳人がその訳文を読み上げる、というのを交互にやればこういうミスは起きないと思うのですが、多くの場合、2件以上あっても検察官は続けて読み上げてしまうので、通訳人のほうで「読み忘れ」を起こさないようにしっかり気をつけないといけません。

 法廷通訳人が弁護人の被告人接見に同行して通訳することもよくありますが、ここで起訴状の内容を確認するために「訳文を読んで聞かせる」ことがあります。ということは、それまでには(公判までまだ日があっても)通訳人が「訳文を作っておく」必要があるということです。その場で日本語を見ながら訳すことも可能でしょうが、起訴状の原文が長く込み入った文章である場合などは、これをやると「わかりづらい外国語訳」になる危険性もあるからです。

 また、弁護人接見だけを担当している通訳人の場合は、法廷通訳人のように裁判所から起訴状が送られてくることはないので、事前に訳文を準備できないことも多いかもしれません。その場合は、弁護人にその旨伝えて、ゆっくりと間違えないように訳して聞かせていくように工夫してください。

 共犯者がいる事件では、全員が全部の行為に責任があるという前提で起訴状が書かれていることもよくあります。日本語と違い、主語をはっきりさせないと訳せない言語の場合、訳し方に頭を悩ませる人も多いのではないでしょうか。「俺は相手を殴ったけど蹴ってはいない」とか「盗みにいく人たちを車で送ったけど、盗みそのものはやっていない」とか「盗みのグループにはいたけど、見張り役だったから家には入っていない」とか、いろいろありますので。全員が全部に責任がある、ということで書かれた起訴状であれば、被告人にもそれが伝わるように工夫しないといけないのですが、なかなか大変です。

 なお、通訳や翻訳は「相手にちゃんと伝わってナンボ」です。その意味では、元号(昭和、平成、令和など)で書かれたものはたとえば被告人がスペイン語圏の人なら西暦で書かないと通じません。日本滞在が長くても元号はちょっとわからない、という人もよくいるので、そのへんは要注意です。本当は起訴状そのものに(カッコつきで追加、でよいので)西暦を入れておいてくれるといいのですが、それをやってくださる検察官はまだまだ少数です。翻訳や通訳の際には年号の計算を間違えないようにしましょう。

 薬物の分量など、起訴状の中に数字が出てきて、小数点がついているときは要注意です。日本語では小数点は「点(.)」ですが、多くの国では「コンマ(,)」で、たとえば「1.253グラム」はスペイン語では「1,253 gramos」となります。これを「1.253 gramos」と書いてしまうと、千グラム(=1キログラム)以上という全然違うことになりますので、気をつけてください。訳文を読み上げるときも小数点なのか位取りの点なのかを間違えないようにしましょう。

 起訴状の中に「セリフ」が出てくることがあります。「カネ、カネ、カネ」とか「ホテル、2万5千円」などの言葉を被告人が言ったとされている場合、それを何語で言ったかは訳す人間にはわかりませんが、そのセリフを言った相手が日本人の場合、被告人は日本語(らしきもの)で言ったと考えるのが妥当です。そういうときは翻訳文では日本語(のローマ字表記)と外国語訳を併記するのがいいでしょう。ただし、複雑な状況で、どっちの言語で言ったか判断できないときは、検察官に尋ねるのも手です。「さあ…それは警察から上がってきた資料に日本語で書かれていただけだから、わかりません」と言われることも多いですけどね。

 起訴状の翻訳は、簡単な事件だと割と時間をかけずにできてしまうことも多いですが、慣れないうちは、上に書いたようなことにもきちんと注意しながら訳すようにこころがけてください。

 なお、判決言い渡しが別の日になる場合も、起訴状とその翻訳文は忘れずに持っていきましょう。判決では起訴状の公訴事実の文章をそのまま、あるいは少しだけ変えて、引用することがありますので、当日の準備の時間がだいぶ節約できます。判決文は当日にならないと見せていただけないので、通訳人が準備できる時間は短く、その負担軽減に起訴状の翻訳文が役に立つことがあるわけです。ただし、中身が少々「違う」ことも当然ありますので、そこは気をつけましょう。

 

文責:中西智恵美(スペイン語講師・通訳)

作成日:2020323日(月)

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