法廷通訳の舞台裏
         


       ここでは、私が法廷通訳の仕事をしていて経験した面白い話や苦労ばなしなどを
      思い出すままに載せていこうと思います。仕事が仕事なので、
      面白くても書くわけにはいかない秘密の話もたくさんあるのですが、
      差し支えないと思われる範囲で、法廷通訳ってどんな仕事なのか、
      皆さんにちょっぴり知ってもらえるような話を書いていきたいと思っております。

      ◆思わず

       毎日裁判の通訳をしていると、ある種の語彙に敏感に反応するようになってしまう。
      「法廷」「検察官」「被告人」などはもちろんのこと、「許しがたい」なんて言葉にまで体が
      勝手に動いてしまうのだ。父が刑事ドラマや時代劇が好きなもので、
      TVでそういうものを観ている隣にいたりすると、自分ではその番組をちゃんと観ているわけではなくても、
      耳に入ってくるセリフに反応してしまう。大岡越前なんかのお裁きのシーンなんて大変。
      ついつい、頭の中でスペイン語にしてしまい、苦笑いすることがよくある。
      もっとすごい人もいる。友人のペルシャ語通訳の人は、家族がそういうドラマを観ている隣で寝ていて、
      寝言でセリフをペルシャ語に訳してぶつぶつ言っててびっくりされたそうだ。
      私の場合、2000年に入って担当事件が減り、2か月ほどしてからやっとこの呪縛から逃れることができた。
      嬉しいような、寂しいような。

      ◆要ダイエット
  
       東京の小菅にある、東京拘置所。ここに収監されている被告人と会う場合、
      通常なら普通の(弁護士用の)接見室に入るのだが、被告人が病気で病棟に収容されている場合、
      いわゆる鉄格子の向こう側にあるこの病棟まで行って、そこの接見室で会うことになる。
      ところが、なぜか東京拘置所では、病棟で接見するときは女性だけは白衣を着ることを義務づけられている。
      感染を防ぐとかなんとか言ってるが、あんなものが役に立つとは到底思えない。
      だが、とにかくそういう規則なので、エイズだの結核だのという被告人に会うときは、
      係員が持ってきた白衣を着る。ところが、この白衣が結構サイズが小さい。
      私のようなおでぶちゃんにはちょっときついのである。さらに、この仕事をしているうちにだんだん太ってきた。
      最後にこの白衣を着たときは、腕が太ってしまって袖がきつくてつらかった。
      当然ボタンはとまらない。係員は「いいですよ。とにかくはおっていてくれれば」と言う。
      そんなんでいいんだろうか。まあとにかく、ダイエットが必要なことは確かである。
 
      ◆チョコレート

       法廷通訳人の鞄には何が入っているのだろうか。
      起訴状などの事件関係書類、メモをとる紙と筆記用具、辞書、それから...チョコレート。
      私だけかと思ったらそうではなかった。皆結構ひそかにチョコレートを鞄に忍ばせているのである。
      法廷通訳はものすごく頭を使う。神経も使う。御飯をちゃんと食べずに通訳していると、
      1時間半くらいするとぼおっとしてきて、頭の中で誰かが「エネルギー不足。糖分充填が必要。
      早くせよ」とささやく。ささやくというか、つぶやくに近いかな。
      とにかく、通訳はちゃんと御飯を食べないと駄目である。御飯を食べていても、
      大変な裁判の後などは無性に甘いものが欲しくなる。
      最初の頃は法廷が終わると、帰り道にあるお店でヒロタのシューアイスなるものを買っていた。
      「今日は頑張ったから、ごほうびね」と言い訳して。そのうち、チョコレートの方が手軽で即効性があると気づき、
      よく持ち歩くようになった。大変な事件や長時間の裁判のあと、口にほうり込むのである。
      別のあるスペイン語通訳さんは、私とは逆に、法廷が始まる直前にチョコレートを食べると言う。
      「チョコレートを食べないと法廷通訳なんてできないわ」と彼女は言う。
      かくて私たちはどんどんチョコレート中毒になっていくのであった。

      ◆息を止めて...
  
      法廷でのやり取りの通訳は書記官の席にあるテープレコーダーで録音されている。
      長い裁判になると、途中でテープが終わってしまい、ひっくり返したり入れ替えたりしないといけない。
      通訳している最中にテープがかちゃっといって止まると、いったん通訳を中断して待つことがある。
      しかし、その間に通訳すべき内容を忘れてしまってはいけないので、
      頭からこぼれ落ちないように、思わず息を止めてしまう。
      書記官がテープ交換に手間取っていたりすると、とっても苦しい。
      そして、無事テープが動きだした瞬間はこの上なく嬉しい。
    
      ◆笑っちゃいけない!

       裁判にかけられる被告人は、悲惨な気持ちでいることが多い。
      特に、外国人で、前科もないような人だとなおさらである。
      何がどうなっているのかわからず心細いまま裁判にのぞんでいるので、
      下手に周囲で笑ったりすると、とっても不安になってしまう。
      ということで、たとえ本当におかしい話でも、本人が理解できないうちに笑うのはいけないと思う。
 
       さて、とある窃盗事件の裁判の話。なぜかその日は一般の傍聴人がたくさん来ていた。
      被告人の女性は歯ブラシを3本(とあともうひとつ。何だったか忘れた)を盗んだということで起訴されていた。
      法廷で裁判官が聞いた。「なぜ歯ブラシ3本なんだね」。
      言いたいことはわかるのだが、補足するわけにもいかない。
      とりあえずそのまま訳した。被告人は質問の意味がわからずぽかんとしている。
      裁判官はもう一度聞いた。「君は一人暮らしだよね。で、なぜ歯ブラシを3本盗んだのかね」。
      「なぜって言われても...別に...」と被告人はおろおろしている。まだ質問の意図がわからないようだ。
      どうしたもんかな、と思っていると、裁判官がまた口を開いた。
      「だからね、聞きたいのはね」。あ、裁判官自身が説明してくれる、と思ったその瞬間。
      「...君は口が3つあるのかね」。傍聴席は爆笑の渦と化した。
      私は立場上、笑うわけにもいかず、必死でこらえるしかなかった。

      ◆「売ってもらった」って?

       まだ駆け出しのころの話。麻薬事件で、証人がスペイン語圏の人、ということしか知らされずに法廷へ行った。
      しかも、前の仕事が長引いたため、駆け込みの滑り込みセーフ!という状態だった。
      まだ息をはあはあ言わせながら席についたところ、検察官が証人に最初の質問をした。
      「こちらの被告人を見てください。あなたはこの人にコカインを売ってもらいましたか?」
      私はとっさに ?El le vendio a Ud...? (彼はあなたに...売ってくれたのですか?)と訳してしまった。
      「売ってもらった」というのを「彼が自分に売ってくれた」、つまり「自分が彼から買った」と解釈してしまったのである。
      証人はもちろん、ノーと言って変な顔をしている。検察官があわてる。
      「売ってもらったんじゃないんですか?」やっと落ち着いた私はそこで気がついた。
      「売ってもらった」=「買った」ではなくって、「売るのを手伝ってもらった」なんだ!!
      「す、すみません」訂正を入れる。やれやれ。後でよく考えてみると、証人はコロンビア人ということなので、
      当然「売るのを手伝ってもらった」方が正解である。というか、常識である。
      だけど、あのときは初心者だったこともあり、それに気づかず、混乱を引き起こしてしまった。
      教訓。背景事情はちゃんと仕入れておこう。そして、法廷にギリギリの時間に滑り込むのはよそう。


      ◆細かいぞ、しつこいぞ
  
       「誰がコカインを持っていましたか?」「その麻薬は誰のものですか?」これを訳すのは簡単だ。
      しかし、実際に裁判でよく出てくるフレーズはもう少し複雑だ。少なくとも、
      「誰がコカインを持っているとあなたは思っていましたか?」「その麻薬は誰のものだと彼は言っていましたか?」
      くらいは訳せないと駄目だが、上級(のはず)のクラスの生徒でも、これができない人が結構いる。
      裁判所のセミナーに来る人も同様である(もちろん、きちんとできる人もいるが)。
      とはいえ、このへんはまだ、文法どおりにやればいいので、ちゃんと勉強した人は大丈夫である。
      問題は、さらに長くて複雑な文。「その麻薬はどこから送られてくると思っていると彼は言っていましたか?」とか、
      「逮捕されたときにあなたが持っていた、白い紙に包んでそれをチャックのついたビニール袋に入れて
      地図の裏にセロテープでとめたものをくれた人はそれが何であると言ったとあなたは思ったのですか?」
      などという文は、イントネーションでどこの部分が質問なのかを強調したり、2つ以上の文に分けて訳さないと、
      とても被告人にはわかってもらえない。
      ちなみに、ここに出てきた文は、いずれも実際の裁判で出てきたフレーズである
      (記憶だけに頼って書いているので、細かいところが違うかもしれないが)。

      ◆目まいぐるぐる

       スリや万引きの、特に否認事件では、図面が不可欠である。
      耳で聞いただけで訳すのはとっても大変だし、間違える可能性もある。
      法廷通訳をする人は、必要だと思ったら、必ず図面をもらえるように担当者に頼んでおこう。
      電車の中のスリなんて、特に大変だ。通訳を目指す人は、ためしに次の文を訳してみよう。
      「電車3両目の、進行方向に向かって左側、車両の真中のドアの隣、やや進行方向寄りに、
      ドアを背にして、顔を進行方向と逆の方向に向けて被告人が立っていて、
      その右斜め前方に被害者が被告人に背を向けて立ち、
      被害者と被告人の間、やや進行方向寄りに警官がいて...」目まいがしてくること、うけあいである。

      ◆汚い話

       ある窃盗の事件。共犯者に誘われてある店に盗みに入ってしまった被告人。
      打ち合わせでその時の話をしているとき、「ビビって下着を汚しちまったんだ」と言った。
      ははん、と私は思った。ははん、と弁護人も思った。よく聞く話だけど、本当にそういうことってあるんだな、と。
      これがいけなかった。公判当日。法廷で話がこの場面に及んだとき、弁護人はこう質問した。
      「で、あなたは怖くなっておしっこをもらしてしまったわけですね」。この質問をその通り訳したところ、
      なんと被告人は「ちがう」と言い出したのである。えっ?びっくりする私(と弁護人)に向かって、被告人は
      “No, es que yo me cague. と言い、私は一瞬固まってしまった。なんて訳そう!
      頭の中をいろんな語が駆け巡った。うんち、うんこ、大便、それからそれから...。
      あまり考えている暇もなく、結局私の口から出てきたのは
      「あのう...大きいほう、なんですけど」だった。
      それを聞いたときの弁護人と裁判官のひきつった顔が、今でも忘れられない。


      ◆何でも訳します

       まだ駆け出しの頃担当した、ある強盗事件。2人の被告人は事実を認めてはいたものの、
      詳細で話がかみ合わないところがある。被害者を呼んで話を聞こうということになった。
      ところが被害者はアナルセックスを専門とする商売をやっている人だった。
      「自分だってやばい商売している人だから、来ないんじゃないの」という書記官や裁判官の心配をよそに、
      堂々と証人としてやってきた。職業を聞かれた彼はアナルセックスうんぬんというのを普通の顔で述べ、
      さらに説明を始めた。「売春は法律で禁じられているけどね。アナルセックスは売春にならないんだよ。
      なぜかというとね、売春はセックスをするとかさせるとかいう話だけど、セックスというのはね、
      法律を調べたところではね、性器と性器の結合なわけ。で、アナルはそうではないから...」
      延々と説明は続く。実はこの事件まで私はアナルセックスなんて言葉も知らなかった。
      まだ、売春という言葉を口にするだけでもドキドキしていた頃である。
      なんでこんなことまでしゃべるんだよ〜とこのオッサンをうらんだが、仕事なので仕方がない。
      平静を装って、彼の説明を淡々とスペイン語に訳していった。裁判は問題なく終わり、やれやれとほっとした。
      しばらくしたある日、この事件を担当した仲良しのT書記官が言った。
      「やーあの事件のときは、中西さんってすごいなあって思ったよー。
      私だってドキドキするようなすごい内容を、顔色ひとつ変えず平然と訳しているんだもんなあ」。
      彼があちこちに触れ回ったらしく、その後大勢の書記官から
      「聞いたよ〜性器と性器のなんとかってやつ。さすがだね〜」と言われて閉口した。
      おまけに1年後、別の事件で一緒に仕事をすることになった弁護士さんにまで
      「実は僕、中西さんのこと、前から知ってるんだ。たまたまあの時傍聴席にいてね。
      や−すごいなあって感心したよ」と言われて赤面する羽目になったのだった。
 
      ◆何て言うんだっけ
 
       ここまで書いたら、ついでにもうひとつ。強盗強姦事件だったかと思うのだが、
      打ち合わせのとき被告人が「僕は彼女とヤろうと思ったけど、成功しなかったんだ」と言い出した。
      「なんで?」という弁護人。被告人は No irguio. と一言。ぐっとつまってしまった私だった。
      何て言うんだっけ、そういうの。えっとえっと...。焦る私の顔を弁護人がのぞき込む。
      「何だって?]私はついに他にいい表現が見つからず、小さい小さい声で言った。「...タタナカッタンデス」。

      ◆遠出が嬉しい裁判官たち

       私たち通訳はあちこち文字通り飛び回っている。それはそれで、それなりに楽しいのだが、
      移動時間が無駄になるし、疲れるので、一か所で仕事をしている人達がうらやましくなることも時々ある。
      しかし、裁判官や書記官は、いつも部屋の中。
      しかも、結構ストレスのたまる仕事だ。たまに仕事で遠出することになると、とっても嬉しいらしい。

       ある事件の共犯者を証人として呼ぼうとしたが、栃木の刑務所で服役中のため来られないという。
      「護送も大変なので、そっちから来てほしい」と刑務所側から言われた。
      裁判官3人と書記官、通訳人、検察官、弁護人2人、他にもいたかもしれないが
      とにかく全員で栃木刑務所へ行くことになった。
      私は裁判所の人達と栃木の駅前で落ち合うことになった。
      栃木へ行く数日前、書記官からその「お知らせ」の紙をもらった。
      読んでみると、待ち合わせ場所は「駅前のカーネルおじさんの前」とある。
      お堅い裁判所の出す書類とは思えない。なんだか笑ってしまった。
      前日夜、せっかく遠くまで行くからついでにどこか見たいなあ、カメラ持って行こうかなあ、とふと思ったが、
      刑務所内は撮影禁止だし、前後に時間がとれるかどうかもわからない。
      第一、裁判のために行くのに、なんだか不謹慎な気もする。やっぱりやめよう、とカメラはあきらめた。

       当日、栃木に着いたら、まだ1時間ほど時間があった。偉い裁判官が言った。
      「せっかくだから市内観光をしよう」。皆でぞろぞろと近くの公園などを見て回った。
      時は10月末。しかもいい天気。絶好の観光日和である。皆うきうきしてきた。
      と、突然裁判官がカメラを取り出した。書記官も自分のを取り出した。そして皆で何枚か記念撮影をした。
      なんのことはない、遠慮してカメラを持って行かなかったのは私だけだったのである。


                                     

                                    (また思い出したら追加します〜)

                                        (2000.7.26.)

                                        (無断転載を禁ず)



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